毒親とは、、生きることとは、、、
長澤まさみ主演の映画 MOTHER を見た。
見ようと思って見たわけでもなく、出かけて帰り特に予定も無いし、映画館歩いて30分で行けるし、久々に行ってみようと思ったから。
行って、1番直近で上映するのがソレだった。
内容は、まぁ、あらすじで全て分かるでしょって感じ。
その日常と描写を映像化したもの。
いや、息子にとって彼女は毒親ではなくただの愛しい人。
外から見ればただのアホでキチガイな女。
それでも愛している。母親だから。
子供は例え親がどんな極悪非道な人間であっても愛さずには居られない。
それは動物の本能だから。
動物も、人間も、自分の都合で子供を異様に愛したり、愛さなかったりするのに、
子供からは必ず無償の愛が得られる。
その弱みを巧みに利用して自分の所有物として扱う大人としての一般常識を持ち得てない永遠に心が子供のままのだだをこねてひたすら愛に飢えている母親。
そんな母親が放って置けない、自分が見捨てたら母親は生きていけない、自分が生きる意味がそこにあるとおそらく信じている。
息子と母親と言う立場だからおそらく成り立つ共依存と言う関係。
男は自立した女より、自分を頼ってくれる女、自分がいないとダメな女に惹かれるから。
そこに男の自尊心が満たされるから。
そして家に帰ってからは動画配信サイトで、イジメで自殺する妹を題材にした姉と母親と友達などの取り巻きの心理描写の韓国映画を見た。
「優しい嘘」
些細ないじめに見えた。学校で良くある風景。
こんなのいじめのうちに入らない。
それぐらい、映像としてのいじめと言うにはインパクトがないものに映った。
わざと集合時間違うの教えたり、ひとりだけ仲間ハズレにしてケータイでみんなでちょっとした仕草を揶揄する陰口。でも無視してる訳じゃない。友達だよね?を強要してプレゼントをねだる。体操服を貸してと言って勝手に借りたまま放置。
トイレでバケツの水バシャーとか、画鋲が下駄箱とか、机に死ねとか落書きとか、
教科書やグシャグシャとか、そんな派手なものは一切ない。
でもこのちょっとした疎外感や孤立感が
学校と言う枠で生きていて、友達がいる事が全てである子どもにとってどれだけのダメージなのかどれだけ生きて行くのがしんどい事なのか
死ぬと言う行為による無言の訴えが無いと誰にも気づいて貰えない。
ハブにされた事のない人、戦える人、逃げる事が出来る人には消して分からない。
自殺した妹と違って姉は親にも妹にも大して優しくないしクールでさばさばしている。
どこか達観している。けれど、信頼出来る友達はちゃんといる。
何故、姉や母親は、
普段笑顔で愛想のいい妹の顔に、“優しい嘘” が隠されていた事に気づけなかったのか。
何故彼女は残された人たちに何も訴えたりしないで静かに死を選んだのか。
家族だから言えない事もある。
大好きだから悲しませたくない。惨めな自分を見せたくない。
過去を紐解くと、ところどころにSOSは出していた。
ただみんな、自分の基準でしか考えず、自分の事に手一杯で、適当にやり過ごしてきた。
適当にやり過ごせば事態は勝手に変わる。時間は流れる。
そう思える日常を送っているから。
でもやり過ごそうとしても孤独と言う絶望しかない未来しか見えない人にとってはどう?
やり過ごす事、時が経つ事に希望なんて見えない。
ならば終わらせてしまおうと。
先日久々に父から電話があった。
一応、両親とは絶縁のテイ。なはず。
引っ越すたびに連絡先教えずにいるのだけど、兄弟の誰か、娘経由あたりかで連絡先が幾度となくバラされる。
私は、父の事は嫌いな訳ではないんだ。むしろ好きな方だと思う。
本や著名人や立派な肩書きの知人友人に感化させまくりで言ってる事ちょいちょい変わるし信念ブレブレでけして頭の回転早くないキャパも広くない容量良くないのに立派な人たちと同じ立ち位置になろうと形だけ入って出来ないと分かるとあっさり途中辞めちゃうし、それで家族を巻き込んで、ホント無責任無神経きわまりない人間。
だけどなんだか憎めない。朗らかな人柄で愛嬌みたいなものが父にはある。
母は理詰めの人で始めたものは必ずやり通すし、効率よくやる術も能力もある。
人間としての能力の高さは尊敬するし自慢だし誇りに思える。
でもどうしても人として好きになれない。
好きじゃない人と私はプライベートで関わりたくない。例え親子であっても。
子は親を必ず愛する。無償の愛が存在する。
兄、弟にはおそらくソレが存在する。
でも同性である私には全く存在しないんだ。申し訳ないけれど。
母は私が父と仲良くするのを極端に嫌う。
私が父寄りになる事を消して許さない。
私の所有物が取られるのは悔しいかのように。
ヒステリーを起こされ、親不孝者!裏切り者!って言われた事もあったっけ?
父のダメっぷり無神経っぷりを毎日呪文のように聞かされて、
うん、うん。分かるよ。女の私には分かるよ。
って共感してあげなければいけなかった。
でも私の事は愛してない。
私に今も連絡を取ろうとめげずにいるのは、
おそらく愛じゃない。ただの執着。
それを愛だと履き違えて、私の事が心配だから連絡取りたいと周りに訴える。
取り込まれたら、また子供の時の支配下に呑まれたら、
私はまた母をかわいそうな哀れな人と思ってしまって
振りほどけ無くなって私の心が死んでしまう。
全てを手に入れたい愛されたいが強い人。
だから私は父とも会わない。母を擁護する兄とももう連絡を取らない。
恥ずべき人間でいい。最低な人間でいい。
なんで兄弟の中で私だけこんな人間に産まれたのだろう。
生まれて来なければ良かったのに。
死ぬ事も生きる事も許されない最低な人間。
こんな事を不意に電話してくる父に毎回言ってしまう。
申し訳ないと謝る父に、やっぱり私は最低な人間だと自覚する。
もう電話かけて来ないで。
母に申し訳ないから父にも会わない。
と口では言うけれど、父との会話が嫌いじゃない。
母の事、人として好きじゃないけれど、愛してない訳じゃないんだ。
母には幸せでいて欲しいと思う。
私抜きで。私の存在を忘れて。
この何とも言えない気持ち、母にも兄にも父にもけして分からないんだろうな。
道徳的にもタイプも全く違うのに、
私には母が、MOTHERの母親演じる長澤まさみとだぶる。