睡魔とぐーたらに生活を追いやられて書きたい事を短時間で書ける気がしないので今週のお題。
今週のお題「得意料理」
牛スジ煮込みでしょうかね。
得意料理って言えるくらい失敗しないのは。
好きだからよく作る。売ってないから自分で作る。
何回も作れば得意料理になる。
正月料理の定番。
持ち寄りで友人宅に持って行くと男性女性問わず皆に美味しいと言われる。
酒のアテだが。笑
女子の優良回答の得意料理と言えば!
1位 肉じゃが
2位 カレー
3位 オムライス
て、ところですか?
。。。
すみませんね。
どれも得意ではない。
お店で食べた美味しい肉じゃが食うたら自分で作る気がしない。
その昔、結婚していた主婦の頃作ってはみたが、じゃがいもが煮崩れて、白滝好きだからと入れ過ぎて、安く済まそうと安い肉を使って、、、結果劇マズだった。
カレーに至っては一食だけ食べるから旨いのであって、
2食目には飽きてしまう私は自分で作るとどう処分するかに困り果ててドライカレー、カレーグラタン、カレー南蛮。。。
最終的にもう自分で作らない。レトルトカレーで充分。になる。
オムライスは、、、基本作らないから得意料理の基準に入らない。
不味くは無いけど自慢出来る程の腕前では。
ちなみにコレ👇
私は母は日本人じゃない。
だから和食のおふくろの味は知らない。
和食で育ってない。
よく分からない洋食?無国籍料理?
男兄弟に挟まれて育ったので単にボリューミーな料理。
朝からフライとか、鶏ももステーキとか、
クレープ(具はウィンナーとか野菜を自分で入れて巻く)
だったと言うと皆に驚かれた。
汁ものは基本スープ。お味噌汁もたまーに出たがだしが無くて薄かった。
母には和食のだしや旨みの概念が無かった。
目玉焼きはケチャップで食べるものだった。嫌いだった。毎回憂鬱だった。
中学の時友人宅で初めて目玉焼きに醤油を食べて衝撃!う、うまい。
専門学校時代に初めて出来た彼氏がよく玉子かけご飯を食べていて、
食べさせてもらって衝撃!何コレ超旨い!
母は東大レベルの大学出身で在学中に英語をマスター。かなり流暢。
祖父母が中国移民、いわゆる華中?華人?になるので中国語(広東語ではない)も出来て漢字が使える。
日本に留学生で来て、日本人の父と結婚し日本語を独学でマスター。
日本語検定1級持って現在も通訳の仕事をしている。
時折ボランティアで日本語を英語に訳すことも。ちなみに母国語違う。
国名をココに書くとかなり人物が特定されて私の身バレがしてしまうので、
想像でご容赦を。
趣味は服飾。自分でデザインして服を作って着ていた。桜や花々を散りばめた絵を服に描いていた。絵心もあった。絵本を描いていた事も。
母はなんでも出来た。基本全て出来る人だった。
料理も作ろうと思えば何でも。ケーキもシュークリームもよく作っていた。
しかし得意ではなかった気がする。おそらく好きで作ってはいない。仕方なく。
でもそんな母が、専業主婦時代の関白亭主な父に実権を握られ少ない生活費で子供4人を食わす為にこしらえた貧乏贅沢料理がコレ。
牛スジ煮込みだった。
母国料理でもある。
その昔、肉屋で店頭に並ばない牛スジは安く仕入れる事が出来たからだそうな。
じっくりと火にかけて煮込む牛スジをよく味見させてもらった。
私の少ない子供心の母の思い出。
今、私は母と絶縁している。
私は母が人間として好きではない。
最近よく言われる毒親だと思う。
散々な思いをした。
彼女は全てを手に入れようと努力し、諦めない人だった。
でも手に入らない、思うようにいかない惨めな自分を
自分の頭の回転の良さや知識力の豊富な事を得意げひけらかして他人を見下す事があった。
日本人ではないハンデを理由に父に虐げられ、それを跳ね返すようにヒステリックになり父を言い負かし、私を餌食にした。
女のあなたなら分かるでしょう?
でも母のお気に入りは素直で料理や裁縫が得意な2番目の兄だった。
その2番目の兄に何かと比べられ、女の子くせにと言う母。
でも吹き溜まりとしての愚痴の矛先はいつだって私。
普段はご近所さんにも知り合いにもニコニコいつも笑顔。
頼まれ事も断らずに受け入れる。
要領の悪い父のお持ち帰りの仕事を手伝ってあげる。そしていとも簡単に仕上げてしまう母。その代わりに悪態をつく。
そして自慢とも愚痴とも言えるその全てを私に投げかけて同意を求める。
私が父に同情したり味方になる事は許さない。ヒステリーを起こす。
彼女は自分の感覚しか持たなく、他人の感覚が分からない人なのだ。
高尚すぎる笑いを時々連発するが周りの誰も理解不能。
頭のいい人特有のちょっと感覚が違う。。。
ほぼ毎日喧嘩して、ヒステリーを起こし、私に愚痴る。
だったらなんで離婚しないの?すれば良いじゃん。
と言うと、日本で生まれた子供たちは日本の国籍になるから離婚したら全て諦めなけいけないからと言う。
それに日本で働いた方が金がいいから。
そもそも何でそんな辛い思いしてまで産んだの?
周りが皆次は女の子と期待するから。
それでも納得のいかない私は色々突っ込んで問いただし、
最終的に聞いて覚えている言葉は
ほんとは私や弟なんて産みたくなんかなかった。アレは半ばレイプだと。
でも父の事はまだ愛してる。
だから。
あれは、
パワハラセクハラにずっと耐え、最終的に暴力でブチ切れて警察沙汰にして仕事辞めて実家に戻り、弟が高校をずっと仮病で休んでたのも気付かずにまだ喧嘩ばかりの毎日の父と母だった事にイラついて全てをぶちまけた日。
そう、結婚しよう、もうこの家と決別しようと決めた21歳の夏だった。
糞だと思った。もうやってらんない。
お願いだからもう勝手に生きてくれと。
彼女がいい母親であろうと自分の置かれた状況を客観的に見て世間を気にして取り繕って演じていることなんざ分かっていた。
彼女には損得勘定しかない。
私はなんやかんや恵まれて育っていると思う。両親がいて、兄弟もいて、何不自由なく育った。
そして貴重な経験もさせてもらった。
大人からしたら貴重な経験。。。自ら望んでした事なら。
私は望んでなんか無かったのに勝手に親の想いや都合で振り回されて期待をかけられた。
その貴重な経験はまた今度。
やばーー、
結局長くなってるし。
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